私が青高に入学したのは丁度、東京オリンピックの年、 京王線がそれまで新宿の手前で路面電車であったのが、初台駅から地下鉄になったときです。
入部した直後の練習で、皮ボールだけでなく、ゴムボールが半数以上あったように覚えています。
その前年の生徒総会で同好会からサッカー部に昇格したばかりで、それまで予算がついていなかったと、 先輩から説明されました。
我々と入れ替わりに卒業された柿崎さん、当時3年生であった姫野さんたちのご努力でサッカー部が誕生し、 本格的なスタートを切った年です。
まあそんな状態ですから、その年から予算が付いて、練習前、皮ボールに空気を入れ、 ニードルで口紐を絞める作業が本格化しても、なかなか試合には勝てませんでした。
2年生になって、我々の年代の誰かが(若田部さんと君島さんだと思いますが)、 音楽の先生(通称、カバ…お亡くなりになりました)から 「公式戦に勝ったら、TBSのレストラン(今でもありますか?今はもうない)で昼飯をおごってやる!」 と言われ、確か秋から冬にかけての辺りで「昼飯おごってもらったぞ!!」と言っていたはずですから、 少なくとも1回は勝ったのでしょう。
先輩として初めて姫野さんが定期的にコーチに来て、懇切丁寧なご指導をされたのは、 先の加川さんの年代だったと思います。 本当にサッカーらしくなったのはこれ以降で、私も大学に入学し、夏の合宿で姫野さんのお手伝いをしたりしました
by 吉井俊夫(1967年卒)
* 2004/06/13 に掲示板に頂いた投稿を引用させて頂きました。