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野口さんのコメントは私にとって新鮮です。

87年は私からみると“After Twenty Years”ですが、ヤスダしかなかった(と思っていた)時代からみると 隔世の感ありです。それでもヤスダを履いている選手もいたのですね。

初めてヤスダにスパイクを買いに行ったのは2年生のときだと思う。 茗荷谷駅で降りて先ず向かったのは教育大文理学部であった。 自宅の近くに教育大体育学部があって、子どもの頃よくグラウンドに入り込んで野球をしていたこともあり、 本格的なキャンパスを見てみたいと思っていたからだ。 そこでは学生が話しながら行き来して、高校とは全く異なる雰囲気を感じとることが出来た。

さて、ヤスダに着いてみると狭い店内で話していたおじさんのひとりが、 また、高校生が来たか、というような風で相手をしてくれた。 スパイクをライトブルーのシューズ袋に入れ、更に同じライトブルーの「ずた袋」にそれを入れてくれた。 この「ずた袋」こそが都内高校サッカー選手の証みたいなもので、 これを持った一団いると、高校サッカーだな、と判る時代であった。 …今では、UMBROを使っているが、…

昨日、少年サッカークラブの試合があるため、審判用具等をいれているバッグの中味をいつものように確かめていた。 長年、使い慣れたメンバー用紙を手にとってみたら、その黄緑色の表紙に何と、“CRiX YASUDA” とあるではないか!今でもヤスダの製品(品番8570)を使っていたのだ!

67卒・吉井、スパイクといえばヤスダしかなかった(と思っていた)世代より

ps.
このような形で、各世代が簡単に感想を述べていくと、長坂先生の重厚な文章を中心として我々の歴史の中に スパイクの歴史の一面を刻んでいくことが出来そうです。

by 吉井俊夫 ( 1967年卒 )


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